sharikimon


江戸時代は荒木町全体が一人の大名の屋敷だった「車力門通り」はその時代からの名前

丸ノ内線四谷三丁目駅と津の守坂に挟まれた荒木町周辺は、この一帯すべてがかつては高須藩松平摂津守義行の屋敷があった場所です。

街全体がすり鉢のような地形をしており、周りを階段が囲んでいます。自動車で大通りへ続く道は限られていますが、全部が屋敷であったと思えばそれも納得です。

近代の明治以降になって庭園や池は一般に開放され、滝の流れる池の周りには料理屋が軒を連ねるようになり、芸者衆も行き交う花街になりました。

「車力門通り(=車力とは大八車もしくはそれを運ぶ人のことを言いますsharikimon=postern for large cart)」などの名前は、屋敷時代に荷車専用の道として整備されたものがそのまま残っていることを示しています。

すり鉢地形の一番底にあたる場所にある津の守弁財天という神社の脇の池は、屋敷時代からある池です。「松平」の名前の通り、摂津守は尾張徳川家の分家で、この池で徳川家康が馬の策(むち)を洗った、という言い伝えから「策の池」とも呼ばれます。(徳川家康は、1603年から280年もの間続いた幕府=政府の初代将軍=元首で、「松平」は家康の旧姓)ちなみに津の守弁財天、津の守坂の名前も、松平摂津守に由来します。

また、歴女(日本史好きの若い女性のこと。この10年ほど日本で大きなムーブメントになっており、日本史上著名な特定の人物を決めて熱心なファンになるのが特徴)にも人気の、会津藩最後の藩主で、戊辰戦争で白虎隊などを指揮するも敗北した悲劇の大名、松平容保もこの屋敷で生まれました。

江戸時代からの池がそのまま残っているのは都内でも貴重な例

今では滝もなく、当時よりだいぶ小さくはなりましたが、上野の不忍池のように保存を意識した政策や公営事業がないまま、江戸時代からの池が残っていること自体、珍しい例といえます。六本木ヒルズの毛利庭園のように、再生、復活させたのとも違い、江戸時代からずっとあるのでなおさらです。周辺の柳の木や坂に敷き詰められた石畳も、花街時代の風情を感じさせます。

策(むち)の池

戦後になると、周辺の大手テレビ局やラジオ局、出版社のスタッフなど文化人が常連となって、料理や酒にこだわりのある店が並ぶ、都内でも一級の飲食店街になりました。

中には花街時代を彷彿とさせる古い家屋で営業する店もあります。また、小さな路地が複雑に入り組んだ中になかなか見つけられないお店などもあって、驚いたことにそうした店ほど常連で賑わっています。

荒木町を訪れたら、ぜひこうした歴史の遺構も見つけながらブラブラ歩いて、夜になったらお気に入りの店をみつけて、店主とのコミュニケーションも楽しんでみるといいですね。

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Tadaima Japan Editorial Team