謎が多すぎる神魂神社
神魂神社の創設は、未だ不確かな部分が多く、『出雲国風土記』や『延喜式神名帳』(927年にまとめられた、当時の全国神社一覧)にも記載されていないそう。
謎に包まれたこの神社は、建築形式や調査によると、平安時代に建てられたと推定されています。
この神社の創設由来は諸説ありますが、今日は私の家族に伝わる、神魂さんのお話を紹介します。
神魂神社はイザナミノミコトを祀る神社であり、国譲りの際にアマテラスオオミカミから派遣されたアメノホヒノトがこの神社を造ったとされている。アメノホヒは交渉をしに出かけたのに結局アマテラスオオミカミの元へ帰らず、地上に住み着いてしまった。しかし彼はお咎めを受けず、さらには神魂族の祖としてその地を治めることに。神魂族は「出雲国造家」と転身し、25代も続いた。その後659年に出雲大社の創設を命じられたと日本書紀に記載されている。
国譲り
つまり、出雲大社を築いたのは、25代も前から続いている神魂族、というわけなのです。こんなにも古い神社ともなると、あまり歴史の表舞台にも出てこないのかもしれませんね。また、出雲地方以外では神無月、出雲地方では神在月と呼ばれる十一月には、出雲地方で最初に日本中の神々を迎える「神迎祭」が行われます。
ちなみに、アメノホヒはお釜に乗って地上へ降りてきたそうです。そのお釜は現在も祀られており、毎年12月13日にお釜神事が開催されます。

一歩踏み込めば、そこは神域
鳥居をくぐった時点で、背筋がぴんっと張るような空気に包まれます。
神社へと続く急な石畳をのぼっていくと、大小の社がそこここに。
石畳を上がりきると、重厚な本殿が真ん中にどっしりと構えていました。
私が一番おすすめするポイントは、この階段を上がりきった瞬間です。
そびゆる木々が広場を囲み、空を突き刺す具合にまっすぐ立っています。特に大きな御神木はもうてっぺんが見えないほど。私が訪れた日には、たまたま巫女さんが急な階段を上って本殿へと入る貴重なシーンを見ることができました。
平日など人が少ないときは、静けさが辺りを覆いつくし、社務所すら開いていないそうです。
祖父が外国の画家を神魂神社へ連れてきたそうですが、その時の感動の仕方と言ったら、憑りつかれた、と言っても過言ではありません。
「これだ!これがおれの探していた場所だったんだ!」と叫び、その場でしばらくひれ伏していたそうな。

良縁の神様は、ここにも
出雲大社は良縁を願って訪れる方々が多いのですが、神魂神社もイザナミとイザナギをお祀りしているため、良縁を授かることができるのではないでしょうか。
イザナミとイザナギはたくさんの子供を産み、日本を創生したとされるお二人で、子孫繁栄、国家安泰、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛などのご利益をもたらして下さるそうです。また、イザナミは火の神様を生んだために命を落としたそうなので、鉄鋼の神様としても知られています。
その昔、中国では北方に玄武、南方に朱雀、東方に青龍、西方に白虎の守り神がいるとされていました。島根県は中国との交流も深かったため、北方の鎮護神である玄武、すなわち亀を神紋に取り入れる神社が多く現れました。神魂神社も、神在月である「十」「月」を合わせて、二十亀甲に「有」という字を入れた神紋を掲げているそうです。
観光客が少なく、重々しい本殿や木々の神々しい雰囲気をたっぷり楽しむことができます。
松江へいらした場合は、絶対に神魂神社に立ち寄るべし。
神々の国である島根県にきたら、神々が集まるところにいかねばなりませんよ!
Map
島根県松江市大庭町563