軍事の中心だった広島城の歴史
広島城の築城は慶長4年(1599) だと言われています。築城前は安芸国守護によって命じられていた武田氏によって治められていましたが、戦国時代になってから毛利元就が武田氏を滅ぼし、厳島の戦いで陶氏に勝利した以降、広島の地は毛利氏によって統治されることとなりました。毛利輝元によって創建された大天守は、1931年に国宝登録されましたが、広島原爆投下の被害で1945年に倒壊しました。広島城はその築城以降武家によって、国を統治する機関が集中する場所であり、近代に入ってからも日本軍の最高統治機関である「大本営」が置かれ、軍事色が強かったためです。
立派に復元された天守閣の歴史資料館で武家文化を学ぼう!
そんな広島城ですが、1953年に城跡が国の史跡に指定されるなど時代の機運により1958年に外観が復元されました。築城400年を迎えた1989年には内部も改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。ここでは長い歴史を広島と共に歩んで来た広島城の物語と奥深い武家文化について学ぶことができます。お城の模型や、当時の和服を試着して撮影できるブース等おもしろく学べる機会がたくさん!激動の時代を通った広島城にまつわる知識を蓄えれば蓄えるほど、このお城は面白くなります。広島に関しての書物は英語でも多く見つけられるので是非訪れる前に広島関連の本で少し予習してみるとより世界に入り込めるのでおすすめです。
二の丸に空いた様々な「穴」に注目!
二の丸に移動すると、四角や三角の穴があることに気がつくと思います。これは「狭間」と呼ばれる鉄砲や弓矢をだして外の敵を攻撃する穴なのです。外側が狭くなっているので、外からの攻撃を防ぎやすい工夫がしてあり、当時の広島城の軍事戦略がうかがえる、お城らしい一面を見る事ができます。狭間から外を覗けば当時の鉄砲隊が見ていた風景を体験できるかも?
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広島県広島市 中区基町21-1