桜とお花見
日本では、この時期になると桜の花が咲き、みんなでお弁当をもって桜の木の下に集まり、宴会を開き楽しく過ごします。この宴会を『花見』といいます。夜桜といって、ライトアップされた桜の花を眺める風情ある楽しみもあります。桜は日本人に愛される花です。 桜の花の下でお弁当を広げてみんなで楽しく過ごすお花見も、昔はもう少し違う意味がありました。桜の花と花見、日本人の関係は、古代日本にさかのぼります。
田の神が宿る木
日本人は農耕民族として知られています。春になると田舎では、美しい棚田に田植えをする人の姿をみることができます。桜は農耕民族である日本人にとって特別な花です。暦がなく、季節感があいまいだった頃、農事の開始を始める季節に桜の花が満開を迎えました。 このことから、日本人は桜と田の神になんらかの関連をみいだしました。桜の’サ’は田の神をさし、’クラ’は神の座の意味があり、’サクラ’とは田の神の宿る場所を示します。田の神は普段山に住み、田植えの時期になると人里におりてくると考えられていました。満開の桜は、田の神が人里におりてくる前兆であり、秋の豊作の田の神への感謝とともに、やがて山に帰っていきます。
神事から花見へ
古代日本では、桜の木は田の神の宿る神聖な木でした。田の神を信仰する古代の農民は桜の木にお供えをして、豊作を祈り、宴をしました。この頃の桜の木の下での宴は、神への儀式的な要素が強く、奈良時代(710~794)になるとそれが桜を楽しむ行事へと次第に変化をとげました。平安時代(794~1192)に、桜は多くの和歌に詠まれ、花といえば桜という日本特有の意識が定着しました。江戸時代(1603~1868)には、宴会型の花見が庶民に娯楽として定着しました。そして、今日でも春になると日本ではお花見が春の恒例行事として、楽しまれています。
古代から変わらないもの
桜の花の開花は古代日本人にとって、田の神が人里にやってくる兆しでした。田の神が宿る桜の木の花が咲くころ、日本人の主食である米を司る田の神に、古代日本人は豊作を祈りました。 現代のお花見では、桜に豊作をいのる儀式というよりは、桜の美しさを愛で、楽しむという側面が大きくなりました。 天候に左右された米の収穫量も、現代では安定しましたが、依然、米は日本人にとって大切な命の糧であり、桜も日本人に愛される花として生活の中にいきづいています。