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2017年12月10日 ARAKI-CHO  CULTURE

都心のど真ん中に奇跡的に残った「昭和」の風情と味を楽しむ

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画一化した時代と流行の背を向け続ける街~荒木町 懐古趣味、というのはいつの時代にもあるものですが、今の日本はさしづめ空前の「昭和ブーム」といえる時代でしょう。 現在の日本の年号が「平成」。その前の、第二次大戦を挟む63年間が「昭和」です。 IT時代の幕開けとともに昭和は終わりましたが(年号はその時代に即位している天皇の崩御=死去によって変わります)、情報が画一化し、ショッピングモールの増加など消費スタイルも世界共通になりつつある現在、その地域独特の人間臭さを残した昭和文化が懐かしまれて、あるいはその時代を知らない若い世代から憧れられています。 結果、「昭和」らしさを残した街や店が、日本人のみならず、飲食でも製品でも有名な日本ブランドしか知らない外国人にも人気となっているのです。 少し前まではこうした雰囲気は戦後の開発が遅れていた下町地域に多く残っていましたが、2011年の東京スカイツリー開業とともに、この地域は今、東京で一番「平成化」が進んでいる場所です。 逆に新宿という大繁華街の近くでありながら、開発から取り残されたまま「昭和」で時代が止まってしまっているような街が丸ノ内線四谷三丁目駅近くの荒木町です。 大名屋敷から花街、そしてマスコミ人の溜まり場へ 近世の江戸時代、ここには松平摂津守義行の広大な屋敷がありました。近代に入った明治以降は花街(芸者衆がいる繁華街)となり、屋敷の庭園や池が一般に開放され東京でも有名な景勝地として栄えます。 昭和の時代になると花街時代からの料理屋が軒を連ねる飲食店街となり、大手テレビ局、ラジオ局、出版社のスタッフといった比較的裕福な文化人が常連となって料理や酒などにこだわりのある名店揃いの街として一部で知られるようになります。時代が平成になっても、地形的要因からか大きな開発がないまま、当時の雰囲気を残した街並みが続いています。 地形のおかげ?大きな開発を免れて、時間を忘れて佇める空間が生きている 大きな開発がなかったのは、街全体が大きなすり鉢のような地形をしており、一部を除いて大通りへは階段を使わないとつながらないような場所だからです。 ここではただ目的のお店に行くだけでなく、昭和の雰囲気を残した街並みを散策する楽しみもあります。街全体が迷路のようになっていて、階段が多いことから、自動車もあまり入ってこない道が多く、すぐそばが新宿通りとは思えない落ち着いた風情です。 すり鉢のもっとも底にあたる場所には、津の守弁財天という神社があり、ここの池は松平摂津守の屋敷時代からあるものです。またこの周辺の柳の木や、この池から登る坂がみな石畳になっているところなどは、花街時代のものです。 石畳を登ったところにも神社と小さな公園があり、カフェなども周辺には数多くあり、ゆっくり流れる時間を楽しむことができる街です。

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2017年10月11日 ARAKI-CHO  CULTURE  TRAVEL DESTINATIONS

坂道に寺社、そして迷宮ばりの路地裏グルメスポット。見どころ満載の新宿・四谷をぶら歩き!『四谷荒木町と寺町』

四谷三丁目駅付近が見どころ満載なエリアなのを知ってますか?
迷路のように石畳の路地が入り組む通な大人のグルメスポット・荒木町や、約25もの寺社がひしめく四谷寺町エリアは、ぶらぶら歩きにもってこいの場所で、そこかしこで歴史と古い昭和の風情に出会えます。
秘密にしておきたいけどやっぱり教えたい!そんな不思議な魅力がつまったこのエリアを一緒にぶら歩きしましょう!

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2017年12月10日 ARAKI-CHO  CULTURE

「路地裏の名店」はこの街のためにある言葉。荒木町へ出かけてみよう

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「路地」は本来「道」の意味ではなかった 日本には「路地裏の名店」という言葉があります。「路地」はもともと「露地=覆いのない地面」という意味の言葉で、英語の「alley=庭園や公園にある小径」とほぼ同じ意味で使われていました。 ですが国土が狭い日本では、限られた土地を有効に使う慣習があり、古くは大名の屋敷くらいにしか、「庭園内の小径」など存在しませんでした。 土地いっぱいに建てられた庶民の家と家の間には「路地」並みの空間しかなかったことから、自然と「狭い道=路地」という認識ができてきたものと思われます。 「路地」は道であり、庭であり、庶民のコミュニケーションの場でもあった 「路地」は道であると同時に、庶民にとっては「庭」でもありました。「路地裏」とは「人目につかない路地」という意味であり、人と人との交流の場でもあったのです。今でもヨーロッパなどでは、こうした空間はよく見られます。 「路地裏の名店」という言葉が日本で定着しているのは、ただおいしい店なのではなく、その地域に根付いた文化に触れられる場所としても、行く価値がある店が路地裏には多いからでしょう。 大通りに面していないのですから、偶然見つけることは難しく、その地域に興味があってわざわざ訪れる人か、その地域の知り合いに連れて行かれた人でないとたどり着けない。でもたどりついた暁には、おいしい料理と、その土地の文化と人の温かさに触れられる、それが「路地裏の名店」なのです。 街自体が「路地裏の名店」で成り立っているといってもいい、荒木町 東京において「路地裏の名店」が多い地域としては、下町や、区画が入り組んでいる広尾、麻布などがあり、グルメガイドなどにもこうした地域の店がよく紹介されていますが、江戸時代からの路地の文化や雰囲気を残し、おいしい店が狭い範囲に数多く集まっている、という点では丸ノ内線四谷三丁目駅と津の守坂に挟まれた荒木町が群を抜いています。 ここは東京に住む人々にもあまり知られていない場所ではありますが、付近にマスメディア関連の大手企業が多かったこともあり、比較的余裕のある常連客で成り立ってきた歴史があります。 しかし近年、常連以外のお客さんも多く迎え入れよう、という動きを街全体で進めており、若い人や外国人にも入りやすい雰囲気に急速になりつつあります。 これだけジャンルが豊富な「路地裏の名店」が狭いエリアに集まっているのは貴重 荒木町の「路地裏の名店」の特徴はまずそのバラエティの豊かさ。花街時代から続く古い家屋で営業する少し高級な和食屋さんから、イタリアン、カフェ、ラーメン、洋食、うなぎ、バー、そして大衆居酒屋など、ありとあらゆるジャンルが揃っています。また、こうした街にはなくてはならない(?)スナック。いわゆるカラオケマシンと粋なママのいるところですね。こうした店は、ゴールデン街のようにそればかり集積しているエリアでもないと何軒ものきを連ねているところは少なくなりました。 荒木町一帯には、歩いて一周しても10_分もかからないほど狭いエリアに、300軒ものこうした昭和の風情を感じさせるお店が集まっていることも特徴です。高低差のある路地は、昼間散歩していても楽しい場所。元の道は屋敷内の小径だったところが多いので、こじつけて言えば、本来の「路地」が原点の場所でもあります。 ぜひ、日の暮れる前からブラブラ付近を散策してから、お気に入りの店をみつけて飲み歩き、食べ歩きしてみてください。

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2017年12月11日 ARAKI-CHO  CULTURE

近世江戸時代、近代明治時代以降、そして昭和の歴史の痕跡を巡る散歩

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江戸時代は荒木町全体が一人の大名の屋敷だった「車力門通り」はその時代からの名前 丸ノ内線四谷三丁目駅と津の守坂に挟まれた荒木町周辺は、この一帯すべてがかつては高須藩松平摂津守義行の屋敷があった場所です。 街全体がすり鉢のような地形をしており、周りを階段が囲んでいます。自動車で大通りへ続く道は限られていますが、全部が屋敷であったと思えばそれも納得です。 近代の明治以降になって庭園や池は一般に開放され、滝の流れる池の周りには料理屋が軒を連ねるようになり、芸者衆も行き交う花街になりました。 「車力門通り(=車力とは大八車もしくはそれを運ぶ人のことを言いますsharikimon=postern for large cart)」などの名前は、屋敷時代に荷車専用の道として整備されたものがそのまま残っていることを示しています。 すり鉢地形の一番底にあたる場所にある津の守弁財天という神社の脇の池は、屋敷時代からある池です。「松平」の名前の通り、摂津守は尾張徳川家の分家で、この池で徳川家康が馬の策(むち)を洗った、という言い伝えから「策の池」とも呼ばれます。(徳川家康は、1603年から280年もの間続いた幕府=政府の初代将軍=元首で、「松平」は家康の旧姓)ちなみに津の守弁財天、津の守坂の名前も、松平摂津守に由来します。 また、歴女(日本史好きの若い女性のこと。この10年ほど日本で大きなムーブメントになっており、日本史上著名な特定の人物を決めて熱心なファンになるのが特徴)にも人気の、会津藩最後の藩主で、戊辰戦争で白虎隊などを指揮するも敗北した悲劇の大名、松平容保もこの屋敷で生まれました。 江戸時代からの池がそのまま残っているのは都内でも貴重な例 今では滝もなく、当時よりだいぶ小さくはなりましたが、上野の不忍池のように保存を意識した政策や公営事業がないまま、江戸時代からの池が残っていること自体、珍しい例といえます。六本木ヒルズの毛利庭園のように、再生、復活させたのとも違い、江戸時代からずっとあるのでなおさらです。周辺の柳の木や坂に敷き詰められた石畳も、花街時代の風情を感じさせます。 戦後になると、周辺の大手テレビ局やラジオ局、出版社のスタッフなど文化人が常連となって、料理や酒にこだわりのある店が並ぶ、都内でも一級の飲食店街になりました。 中には花街時代を彷彿とさせる古い家屋で営業する店もあります。また、小さな路地が複雑に入り組んだ中になかなか見つけられないお店などもあって、驚いたことにそうした店ほど常連で賑わっています。 荒木町を訪れたら、ぜひこうした歴史の遺構も見つけながらブラブラ歩いて、夜になったらお気に入りの店をみつけて、店主とのコミュニケーションも楽しんでみるといいですね。

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ARAKI-CHO  CULTURE

すり鉢のように窪んだ地形を実感できる場所から、荒木町の歴史におもいを馳せる

東京は、高低差の多い街である(?) 日本の地図を見ると、東京のある関東平野は広大であり、より広い範囲に市街地が広がりやすかったことがよくわかります。ただ、平野といってもどこまでも平らな地形をしているわけではなく、四方から東京湾に向かって川が作った谷がたくさん伸びています。このため水の供給がしやすく、水運航路も多くあったことが、街を繁栄させることにも繋がったと考えられます。 川沿いの谷には集落が作られ、谷の上に伸びる尾根の部分は主に幹線道路になっていきました。現在では幹線道路は谷の部分に橋をかけてアップダウンをなくしているので、自動車で走っているとなかなか実感できませんが、東京は非常に高低差のある地形が多い街でもあるのです。 荒木町を例にすると、かつての尾根づたいに続く新宿通りに対して、北側を並行して走る靖国通りはかつての谷を走っており、南北に両者を結ぶ津の守坂が急坂になっています。 荒木町は、これらの道に挟まれた低い部分に位置します。東_西南を尾根に囲まれた、お椀のような地形です。 すり鉢地形には、知的階層に熱心なファンがいる こうした地形をすり鉢型といい、東京にはこの地形が多いことから「東京スリバチ学会」という、有識者や大学教授などで作られる愛好家団体も存在します。都市化が進んだ地域では、道路の高架化や、斜面に巨大な建造物を建てる際に高い側と低い側の入口の階数を変えることで、こうした高低差が見えにくくなっているので、あえてその痕跡を探し、その地形を作った原因や地形にまつわる歴史を調べて楽しもう、ということのようです。 この高低差が都心で存分に楽しめる場所として、荒木町は学会からも一目置かれています。江戸時代にはすり鉢全体、つまり現在の荒木町全体が松平摂津守義行という大名の屋敷でした。谷の部分にあった水を利用し大きな池と滝を作り、池を囲む巨大な庭園がありました。この池は決壊させると谷の部分を走る靖国通り水浸しにすることができ、江戸城に敵が攻めてきた場合に備えていた、という説もあります。 近代に入って屋敷は一般に開放され、庭園の景観を楽しむリゾート地となり、観光客を宛てにした飲食店が多く軒を連ね、この地域だけの芸者がいる、いわゆる花街に発展していったそうです。今でも現存する池の周りにある柳の木などは、花街時代のものと思われます。芸者衆が歩く道には柳の木、と相場が決まっていたからです。 第二次大戦後は近隣の大手テレビ局、ラジオ局、出版社に勤める知的富裕層が常連の飲み屋街になります。今ではテレビ局もラジオ局も移転してしまいましたが、平坦な土地でないためか、その後大規模商業施設などの開発もなく、当時の雰囲気を残した飲食店がまだ多く営業し、今では昔を懐かしむ大人や、その時代の雰囲気に憧れている若い人で賑わっています。 知る人ぞ知る、すり鉢地形を俯瞰できる穴場スポットからの眺めは雄大! 荒木町界隈を散策していると、新宿通りと外苑東通りにつながる道以外はほとんど階段で大きな道に繋がっています、街中、狭い道と階段ばかり。これがまず地形を実感できる場所です。 また、新宿通りではなく津の守坂から荒木町方面に入り、TadaimaJapan新宿旅館に向かって下る階段の上は、すり鉢全体を一番よく見渡せる場所として密かに知られています。 ここを下って新宿旅館と反対側に曲がってすぐ左に、滝はなくなって、規模も小さくなりましたが、かつて庭園にあった池があり、傍には津の守弁財天という小さな神社があります。 また、高低差とは関係ありませんが、荒木町の道のほとんどが松平摂津守の屋敷だった時代の道、もしくはその道の延長という形で残っている可能性が高く、江戸時代の雰囲気を想像しながら街をそぞろ歩くのも楽しいですね。

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2017年12月12日 ARAKI-CHO  CULTURE

あの有名な怪談に登場する女性は、存在していた。でも実際には全然違うお話

於岩稲荷田宮神社、「おいわいなりたみやじんじゃ」と読みます。地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅から徒歩5分ほどの場所にあるこの神社は日本では昔からよく知られているあるお話で有名な場所です。ご存知でしょうか。ここでは、そのよく知られているお話も交えながら、この神社についてご紹介します!

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ARAKI-CHO  FOODS & DRINKS

四ツ谷にある行列必須のたいやき屋「わかば」。たい焼きの東京御三家と呼ばれています

たいやきに「御三家」があることをご存知でしたか。その御三家と呼ばれるたい焼き屋では、ある共通点があります。それはたい焼きの作り方です。今回は「天然物」と呼ばれるたい焼きを作り上げる御三家の1つ、四谷にある「たいやき わかば」を実際に食べてみた感想も交えながら、ご紹介します。

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2014年9月23日 FOODS & DRINKS

相撲を見るだけでなく、食から楽しめる『ちゃんこ屋』

「ちゃんこ屋」をご存知ですか? 日本には力士が食べている料理を出す「ちゃんこ屋」と呼ばれるお店がたくさんあります。「ちゃんこ」とは「力士が食べる料理」のことです。ちょっと変わったお店だと思いますか?相撲に興味のある方は、ぜひ立ち寄っていただきたいお店です。 「ちゃんこ屋」の多くは、引退した力士が開いたお店です。そして意外に思われるかもしれないですが、元力士は店のオーナーではなく、料理長として腕を振るっている場合が多いのです。 料理上手な力士には、ちゃんとした理由があります 昔から、力士は自分たちの料理を自らの手で用意してきました。体重があれば有利になる相撲という競技の性質上、食べることは力士にとって大切な仕事の一つです。そんな大事な食事を他人に任せたりせず、自分たちで用意する。これが相撲界の伝統であり、他のレスラーとの大きな違いといえるかもしれません。 頻繁に料理をする機会があるため、料理の腕はプロ級という力士も多くいます。料理はものすごく上達したけれど、力士としては芽が出ないといった、皮肉なこともよく起こるそうです。そんな力士たちが、引退後に飲食店を開業した結果「ちゃんこ屋」というものが日本中に広まりました。 さぁ「ちゃんこ屋」を楽しもう!! ちゃんこ屋に行って、ただ「おいしかった」で終わるのは、非常にもったいないです。味わいながら相撲の伝統を感じて下さい。鍋料理が多いのは、大量の食事を手軽に用意するためです。相撲では手を突くと負けになりますから、具材に牛肉や豚肉はあまり使われません。 ほかにも面白い話はたくさんあります。経験の浅い力士に対して「ちゃんこの味が染みていない」という言葉が使われるほど、相撲とちゃんこは切っても切り離せない関係にあるのです。 空いている時間に、店員さんに話を聞いてみるのも良いでしょう。運が良ければ元力士から直接相撲の話を聞くことができるかもしれませんよ。

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