<四谷荒木町・今昔散歩 ~荒木町の重鎮が語るとっておき秘話~ ②古き良きメディアの時代>

どうも、フリー編集者のシゲです。出版社勤務時代、30年ほど前から約10年間に渡ってこの界隈のオフィスで働いておりました。当時はフジテレビを筆頭に、メディアの本拠地がこの辺りに多く置かれており、荒木町の飲み屋さんはそうした常連さんが多かった印象があります。<前回>前回に引き続き、荒木町の生き字引とも言える重鎮、「とんかつ鈴新」の鈴木洋一さんにお話を伺います。

花柳界が支えたのが荒木町第1期隆盛期とするなら、メディア関連の通な常連が支えたのが第2期、鈴木さんのお話を聞いていると、どうやら今は第3期の隆盛期を荒木町は迎えつつあるようです。その起爆剤となったのは・・・


テレビマン・ラジオマンの力の源

昭和33年、12歳のころに父親とともに深川のお店からこの荒木町に引っ越してきたという鈴木さん。実はその翌年にすぐ近くの河田町にフジテレビの新社屋が建てられました。

「バラックみたいな建物から始まって、タワービルが建ち始めたりするのをずっと見てきましたね」

『バラックみたいな建物』は開局当時の低層建築のことで、スタジオ中心の放送局は外観が殺風景なので、幼い洋一少年にはそう見えたのでしょう。タワー棟は昭和44(1969)年に建てられています。また、すでに荒木町から見てフジテレビの反対側、新宿通りを挟んだ向かいの若葉に文化放送が本社屋を構えていました。僕らのような出版社も多くあり、麹町には日本テレビ、市ヶ谷にはCBSソニーと、メディア、エンタテインメント関連の企業が多く集まっていたエリアの中心に、エアポケットのようにある古き良き飲み屋街は、深夜にならないと仕事が終わらないメディア関連の人間で遅くまで賑わっていました。

完成間もないころのフジテレビ河田町社屋(日本民間放送連盟『民間放送十年史』1961年 より)

「フジテレビと文化放送の人はもちろん、日テレもTBSも近かったから、よくいらっしゃいましたよ。でもね、最盛期はピストン輸送。とんかつ弁当のね。お店やるよりは配達するほうが需要があったから、弁当に特化して営業してた時期もありました。フジテレビでは、『3時のあなた』(当時の看板トーク番組)の高峰三枝子さん(往年の名女優で同番組のレギュラー司会者)とか、歴代のスタッフにも可愛がられましたよ。僕ね、高校、大学の半分くらいはとんかつ屋の出前持ちでした(笑)」

大学は近くだったんですか?

「大学は早稲田だったので近かったですね。昼の忙しいピークまでは配達やってから大学行くんですけど、そのころはいろんな闘争とかやっててね、大学行っても落ち着いていられなかった。元々勉強好きじゃなかったのもあって、大学以外で独自に中国語の勉強してましたね」

おおー、昭和40年当時としては随分先取りですね!

「麻雀」

あ、そっちですか(笑)。

「配達終わって、麻雀やって、5時くらいに帰ってきてまた出前手伝わされて、っていう(笑)。このあたりは雀荘もいっぱいあったから、縁起がいいんでとんかつ弁当がよく頼まれました。4人で頼んだら誰が勝つんかわかんないけど(笑)」

後ろが河田町時代のフジテレビタワー棟。僕らの世代は、この建物がフジテレビのイメージですね。実は僕のいた編集部がこの近辺にあったのも、基幹雑誌がテレビ誌だったので、フジテレビ、日本テレビ、TBSのキー局のちょうど中間に位置するこの辺りが取材に最適だったからなのです

「その後、放送のスタイルがどんどん変わってきて、生放送からビデオやフィルム中心になると、このあたりに映像編集する会社もたくさん事務所を構えるようになって、今度はスタジオに缶詰で編集している人たちに弁当届ける、というのもいい商売になりましたね」

有名人とも道でバッタリ

この辺りは有名人もけっこう来ました?

「とんかつ屋の前に以前、焼肉屋があって、そこの2階を借りて、永六輔さんや小沢昭一さんが俳句の会をよくやっていましたね。作務衣を着て、公園で時間待ちしてましたよ」

カッコいいですねー。

「リュックサック背負ってね。今は大勢いるけど、当時は珍しかったんじゃないですか? 作務衣にリュックサック。両手が使えるのがよかったんだろうね」

元祖、街歩きのプロですものね。

「その焼肉屋さんで、長嶋茂雄さんが、あれ、監督の時かな。接待受けてたらしくて、坂を上がって自分の店の前に来たら長嶋茂雄がいた。夢のようでしたよ(笑)。やっぱり巨人ファンでしたから。あとは、それよりずっと前になるけど、石原裕次郎がちょうどTadaima Japan 新宿旅館さんから津の守坂に向かう階段で映画のロケをやっていたのを見たことがあります。『雲に向かって起つ』ってタイトル。足の長いやつだなー、って思って見てました」

『雲に向かって起つ』は兄、石原慎太郎の小説の映画化に裕次郎が主演した1962年の日活映画。正直、裕次郎作品としてそう有名ではないですが、タイトルを正確に覚えているのが鈴木さんのすごいところです。

現在の荒木公園。ここに作務衣着てリュックサックを背負った永六輔さんと小沢昭一さんは絵になりますね

荒木町第三の繁栄期へ向けて

「けっこういい時代が続いたんですが、前にもお話したとおり、昭和58年(1983年)には花柳界もなくなっちゃうし、バブル崩壊(1991ー1993年)でドーンと売上が落ちて、さらにフジテレビさんもいなくなっちゃう(1997年)。あなたは猫好き、という話でしたが、それこそ猫の子も通らなくなるほど落ち込んじゃうんです。それでなんとかしなきゃいかんな、と思って商店会を立ち上げようと思ったら、これが簡単じゃなかった。始めは反対が多くて」

なんでですか・・・?

「花柳界があった、ってことは三業組合(料理屋、芸者屋(置屋)、待合(茶屋など)の三つの業者が集まって作る組合。見番とは本来はこの三業組合の事務所のことを言う)がすでにあったわけですね。そこと目的が重なっちゃう、ということでしょうね。そんなこと言ったってもう花柳界はなくなちゃったんだし、古い組織でやっても新しいことは動かないでしょ? それでみなを説得して商店会を立ち上げたんですが、それを手伝ってくれたのが『荒木町を発見する会』っていうメンバーなんです」

現在、河田町のフジテレビ跡地は、URのマンションが建っています。荒木町を囲む、丸ノ内線四谷三丁目駅から都営新宿線曙橋駅、さらに都営大江戸線若松河田駅に至るエリアは、大型マンションが続々と_建ち、新しい荒木町の常連さんが育っていく予感があります

この『荒木町を発見する会』が、今の荒木町の賑わいの基礎を作ってくれた、隠れた立役者たちです。次回は彼らと発見した、鈴木さんとっておきの荒木町トリビア(この言い方も古いな。フジテレビ発祥ではあるけど)についてお伺いします。

<四谷荒木町・今昔散歩 ~荒木町の重鎮が語るとっておき秘話~ 3地形が街を再生させた>

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