近鉄奈良駅でおなじみの待ち合わせ場所。その目印は、『行基像』!

昭和45年(1970年)に近鉄奈良駅再開発事業の完成を記念して、東大寺大仏殿に向かって立つ行基菩薩をモチーフに奈良の伝統的な焼き物の赤膚焼きでつくられました。途中、心ない者の手で破壊されましたが、平成7年(1995年)にブロンズ像で復元されました。地元では、行基の立つ広場は「行基広場」と呼ばれ、待ち合わせの場所として親しまれています。

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近鉄奈良駅前の行基像


【 目次 】

近鉄奈良駅前の噴水と行基像

駅前にたたずむお坊さんの像。これは誰?

奈良県の近鉄奈良駅前にある小さな噴水の近くに、お坊さんの像が立っています。この像は、地元の人たちが待ち合わせをするときの目印として、親しまれています。ここは、奈良の人も実はお坊さんの名前も知らずに、待ち合わせの場所としてあたりまえのように使っている場所です。
いったい誰なのでしょう?
このお坊さんは、行基という名前の奈良時代(710~794)の僧侶です。行基は行基菩薩とも呼ばれます。菩薩とは仏教の仏様の位のことで、自分のためだけでなく、他人の利益になることも考えつつ修行する人のことをいいます。菩薩といわれた行基はどのような僧侶だったのでしょうか?

東大寺の大仏

菩薩といわれた僧侶、行基

行基は、668年に大阪で生まれ、奈良で仏教について学びました。彼はこの時代の僧侶の規則をやぶり、寺院の外にでて、民衆のためにたくさんの社会事業をおこないました。
737年にペストが大流行した際には、病と重税に苦しむ農民のために池や橋、家をつくり、食料や薬をあたえました。朝廷からこれらの活動を弾圧されても、行基は活動を続けたと言います。 これらの活動から、行基は民衆に行基菩薩とよばれ、尊敬されるようになります。弾圧していた朝廷は、行基のもつ技術力や民衆を動員する力を大仏建設に協力を仰ぐ事になります。745年には、日本で初めて大僧正という僧の最高位になり、行基の指導のもとに大仏がつくられることになりました。

行基像の石碑

待ち合わせをする間、行基のことをしばし回想

この時代の僧侶は、出世のことばかりを考えているものが多かったのに対して、行基は寺院からでて民衆の苦しみと共に生き、その苦しみを和らげるための社会事業に身を投じました。
近鉄奈良駅にたたずむ、行基像の前には、現在でも托鉢する僧侶の姿をみることができます。行基は、全国各地で多くの寺院の建立に携わりました。そのあまりの多さに、代表的なお寺を挙げるのが困難なほどです。
行基が名前も知られずに奈良の人たちに親しまれているように、これらの寺院も当たり前のように、奈良の人たちの生活の中に生きづいています。仏教と僧侶の世界が今も交差する、そんな場所奈良へぜひ一度訪れてみてください。
近鉄奈良駅を訪れる時は、奈良時代に生きた僧、行基のことを思い出してください。

Map

奈良県奈良市東向中町29

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kyoami

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民具や生活道具、伝統工芸、日本のアンティーク好き。生活の中で生まれた日本人独自のセンスや技術、その背景にある宗教観や由来をさぐります。

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Address 〒630-8215奈良県奈良市東向中町29